2016年5月23日 (月)

生田さんの証言

5月23日(月)
朝日新聞の毎週月曜日・4ページの経済欄に生田さんの「証言そのとき」の掲載がまだ続いていて今日は(その8)で、郵政公社初代総裁に就任のいきさつが載った。
生田先輩はその後、日銀審議委員に中村順次さんを推薦して4年間日本銀行の方針決定に寄与した。
中村さんは一時期同じ職場に居たがおとなしくて目立たなかったが。

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2016年5月 9日 (月)

先輩の回顧記事

5月9日(月)
今日の朝日新聞・朝刊の経済欄に「日本郵政公社初代総裁 生田正治さん」の回顧証言記事が(連載の6)として載って居るのを見つけて驚いた。 この6回まで見つけることがなかった。

生田さんがロンドン支店駐在員の際小生は欧州航路でロンドン停泊中、生田さんの案内であちこちを訪ねドーバーの古城で撮った写真も50年たった今も残っていた。 50年前の話。その後本社定航部勤務の際は家内や娘も横浜でお世話になった。
その後、社長・会長と上り詰めた。
生田さんは現在OB会(松伯会)の会長。
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2016年3月15日 (火)

乗船勤務の船

3月15日(火) (写真をクリックすると拡大する)
13日の日曜日は自治会27年度総会が開催され報告説明。

日本中に散らばる昔の友人たちとの交信も段々少なくなり心細くなる。 そこで昔の写真を探したがほとんどなくなっている。
商船会社に入り、世界中をカバーする貨物定期航路船に乗って五大陸を何回も訪れた。
乗船勤務と陸上勤務を数年ごとに繰り返し、最後は陸上職となった。

(ニューヨーク定航)(ヨーロッパ定航)(南米定航)(アフリカ定航)(豪州定航)(カリフォルニア・ガルフ定航)・(ペルシャ湾タンカー)(インドネシア・シンガポール1年間三国航路)・等々

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Dc022301Conv0002ChicagomaruOgurasanConv0001Orion

Bridge_2Conv0006ろんどん丸はケープタウン
シドニーハーバーブリッジはNorfolk丸
シスコのごゴールデンゲートブリッジ
スエズ運河通過中のブリッジで
Conv0001_2ピラミッド前で
Dominica
ドミニカで移民の少女と

Conv0001_5欧州航路の途中Hong Kong でChicago丸
日本を代表する最高の高速貨物船、ヨーロッパを制覇
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スペイン・バルセロナでティータイム

このタンカー6万トンの「おりおん」は定期航路専門の会社が初めて大型原油タンカーを建造、その建造受け取り要員として神戸造船所に2か月貼り付き、出来た船はエンジンの仕様が大きすぎて高速定期船を上回る19ノットが出てビックリ仰天、当時はすごく大きくこんな大きな船がこんなスピードを出すとは。昭和36年で・50年以上前の話。  
志賀画伯の絵はシアトル丸でブエノスアイレス停泊中。 
志賀君と一緒に乗った西航南米航路船のこの絵は今も玄関に掛けてある大事な一品。 南米定航はパナマ運河を通る(東航南米航路)とアフリカのケープタウンを通る(西航南米航路)がある。

どこが多かったかと思うと、[New York] [Rio de Janeiro] [Panama][Los An] [Buenos Ai] [London]・・・
最初の船「あめりか丸」は南米向け移民客船で、ドミニカ・ベネズエラ・ブラジル・ウルグアイ・アルゼンチンへ移民を輸送した最初の職場。

このブログ記事は記録保存用。

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2016年1月27日 (水)

渋沢栄一財団

「バックバンバー」の文字をクリックすると、過去10年の記事の年月が表示されるので見たい年月をクリックすると現れる
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1月27日
今NHKの朝ドラで、日本の近代化に貢献したいろんな人物の名前が出てきていて、先日15日のパソコン新年会でYさんがこの物語のモデルについて詳しく話されて驚いたが、その中に出た名前が今日のドラマにも出たので思い出して私の記録を見たら、「渋沢栄一財団」の要請で志賀君の「ぶらじる丸」の絵を提供した記録が出てきた。
全く知らない他人がインターネット・ブログで目的物を探し当ててブログ上のコメントで接触してくる・・・良いことでもあり怖いことでもある。
この場合は、渋沢財団の機関紙が多量に届いて、非常によくできていて志賀君や会社のOB会にもこの会報を届けて喜ばれた。

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志賀君の100号の絵 2枚 サントス港着岸のブラジル丸
ケープタウンのテーブルマウンテンをバックに出港の「ばるせろな丸」

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2015年9月 8日 (火)

トラック島で撃沈の船

9月8日(火)
先日民放で、昭和19年2月トラックで日本の大型艦船40隻がアメリカの大空襲で撃沈され、その中の1隻に乗船していた軍人の息子さんが、慰霊のため現地トラックを訪れて亡き父の船に花と土産物をささげた・・・との報道。
その船が「愛国丸」、南米航路用に建造された豪華客船を軍に徴用されて軍艦に改造されて、南洋群島に物資と兵員の輸送に従事。
19年2月17日750名とともに撃沈された・・とのこと。
この船は会社130年の運航船歴史でも有名で、愛国丸・報国丸の姉妹客船。
船の写真がテレビで何回も映されてどこかで見た形だな・・と思った。私が乗船した南米航路移民客船「あめりか丸」とよく似ている。
テレビ画面の写真は、「南アフリカ航路の・・」とあるがこれは間違いで「南アメリカ航路の・・」が正しい。

今年お亡くなりになった阿川弘之氏のS49年発行の長編小説「暗い波濤」上下巻の第1ページから(愛国丸)で南方に渡る海軍将校たちの話から始まり、トラック島で撃沈するまでが描かれている。 40年前に読んだ本にこの船があったことを思い出して見た。

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2013年1月12日 (土)

移民客船あめりか丸

1月12日(土)
今夜の民放TVで昭和30年代の横浜港の古い写真を見せて当時の人々にインタビューする番組を見ていたら、移民客船あめりか丸が出てきてビックリしてカメラに収めた。
小生の最初の乗船職場がこの「あめりか丸」で南米ブラジル・アルゼンチンに移民やお客を運んだ。 サントス港で大方のブラジル移民が船を降りる際、船尾の日の丸を見ながら涙を流して故国への別れをするシーンが今も昨日のように浮かんでくる。
初めて経験するパナマ運河の通過やそれからドミニカ・ブラジル・ウルガイ・アルゼンチンと寄港して復路は同じ港によってウール・コーヒー・綿花などを積みとり、約3か月半で横浜に帰港。
ブラジルでは、アマゾン河口のベレン・北部の大都市レシフェ・首都リオデジャネイロ・移民受け入れ港サントスと寄りそれからモンテビデオに寄りブエノスアイレスで折り返し。
次回オリンピックはブラジル・リオデジャネイロだ。山頂にキリスト像があるコルコバド、パンデアウス-カル。
2枚目の写真は乗船時のもので小生がブリッジにいるはず。

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2012年5月20日 (日)

世界の海峡

5月20日(日)
今夜、NHKの「BS日本のうた」を見ていたら(海峡の歌)が特集で歌われていて、昔通過した海峡をネットっ出してみた。

Bashi2バシー海峡 台湾とフィリッピン・ルソン島の間の海峡。

西に向かう船は必ずここを通過する。                      
                                            Bashi Channel                                                                                  
                                                                            

             

 

Conv0001マラッカ海峡 マレイシアとインドネシア・スマトラ島との間の海峡。 狭くて暗礁が多く大型タンカーの往来が多いので神経をすり減らす20時間だ。
この海峡を通過してインド洋に出て、ヨーロッパやアフリカやペルシャ湾に向かう。 赤道0度直下。
                                                                                                                                                                                       

Hormuz_2ホルムズ海峡 ペルシャ湾の入り口で日本への原油の9割がここを通る。 最近イランが「封鎖する」と脅している要衝。

 

 

Messhinaメッシナ海峡 イタリア本土とシシリア島との間の狭い海峡。
スエズを通過後イタリアの主要港ジェノアに向かう途中通過する。非常に狭くて手が届きそうな感じだ。
                                                                                          

Gibraltar1_2ジブラルタル海峡 スペインとアフリカ・モロッコとの間の海峡で地中海の西の出口。 大西洋への出口。
写真は向こうが地中海。
                                                                                        

Dover Dover2_2ドーバー海峡 イギリスとフランスの間の海峡。
ドーバーの白い崖」がそそり立つ。
ここを通ってオランダ・ベルギー・ドイツに向かう。
この地図を開くと、ベルギーのAntwerpやオランダのRotterdam港があってとても懐かしい。オランダはNetherlandと表記される。 もちろんLondonがある。 もっと北にドイツのHamburgやBremenがある。

Puget2ピューゼットサウンド海峡
北米西岸の シアトル・タコマ港への入り口。
                                                                   

                                                                                                          

Conv0002ベラサノナロウズ ニューヨーク湾の入り口の海峡
ステイタン島とアメリカ本土の間の水路でニューヨーク港への入り口で長いつり橋が架かっている。
                                                                                                   
                                                                                                         

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2012年4月26日 (木)

70年前の写真

4月26日(木)
自治会で市の補助金で「徘徊者捜索隊」用に購入した電動アシスト付き自転車を倉庫から出して坂道を乗ってみた。 先月も映画会の案内を配布するときに乗ったが今日は自転車を道路まで出すのに苦労した。坂道の走行は非常に楽でいいね。

69年前、昭和18年に特攻隊に入隊した兄に送るため家族で写真を撮ったものが昨年手に入ったので家に飾っておいたがブログに載せてみたくなった。
小生小学1年6~7歳、姉二人と両親。今見ると何とも大変な服装だが戦時中の子供のことで、こんな大変な時代があったのだ。

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2011年1月27日 (木)

日経新聞の生田さんの履歴書

1月27日(木)
家内が入院中で一人で正月を過ごしいた正月早々、Yさんから私の会社の先輩で初代郵政公社総裁に就任して大変苦労された(生田正治)氏が日本経済新聞の元旦号から「私の履歴書」の掲載が始まった・・・と知らせがあって翌日新聞社に頼んでとって見た。 今月一杯連日掲載の模様。
生田さんには彼がロンドン支店勤務中の若い頃大変お世話になり、また後日彼が定航部欧州課在勤の際横浜でもお世話になった。

Conv0001_3 会社の社長退任後、時の首相・小泉さんから無理に請
われて日本郵政公社の初代総裁に就任した。
会社のOB会で「私は肝臓の病気を克服したばかりで、
郵政公社の仕事はとても出来ない。」と話されていた
が、強引に口説かれたようだった。
今は元気で顧問をされている。
ロンドンでウインザー城を案内された写真があった。

後日、生田さんと社外取締役をされた福井日銀総裁
との推薦で、同輩の中村清次氏が「日銀政策審議委員」の民間人
6人に籍を置いていて最近も活躍している。

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2010年3月17日 (水)

双葉百合子「岸壁の母」

3月17日(水)
今日は映画同好会「CINEクラブ」の3月活動(上映)の案内書を作り35戸に配布。 リチャードギア主演の「北京のふたり」何回見てもいい映画。 
明日は大学病院の「アクティブCTスキャン」検査で早目に飲食止め。

先ほどNHK・TVのニュース報道で歌手・双葉百合子さんが引退と報じて彼女の代表作「岸壁の母」を流していたので、またまた50年前を思い出した。

双葉百合子の「岸壁の母」を聞いていてその中に・(ソ連の港ナホトカから引き揚げ船が)の歌詞があって、それを聞くと・・・・・商船学校在学中の実習で昭和31年夏に国の練習船「北斗丸」で最後の将校捕虜24名ほど(記憶が不確かだが)の受け取りにナホトカ港に入り引き揚げに従事したことが思い出される。
国が派遣する医師団と看護婦数十名が同乗していた。
  写真は初代・運輸省航海訓練所練習船「北斗丸」Photo (1,600t)、昭和27年竣工・世界初のガスタービンエンジン搭載・学生定員80人・S52年廃船・第2世に引き継ぐ。

戦後11年で、ナホトカ港に入港する際・先ずソ連の官憲が乗船して、乗組員と実習学生ならびに医師達全てが集められてチェックがあり、個人が所有のカメラを全て1部屋に入れて封印された。
学生以外の上陸は許可されず、船の出入り口は兵隊が監視、バスが来て学生だけがナホトカ市営ホールに招待されてダンスパーティーと短編映画の上映があって一応の歓迎を受けた。 ロシアの人たちの体臭がきつくて参ったことを覚えている。 また子供達が沢山寄ってきて「タバコ」「マッチ」「コイン」とせびられたことも記憶にある。
あのときも舞鶴港に入り最後の引き揚げ将校たちを無事降ろした。 「岸壁の母」最後の引き揚げ。

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